澁澤龍彦 幻想文学館
2007-10-08


仙台文学館にかかっている特別展「澁澤龍彦 幻想文学館」を見に行ってきた。「昭和」が立ち上がっていた。とりわけ「1960年代」という「昭和」が充溢する空間がみごとに表出されていた。澁澤は,「昭和」という偏狭な時空からは最も超然とした表現者というイメージが強かっただけに意表をつかれた感じがした。この意外な感じの因って来たる所以は何か。それは例えばサドに固有な反権力の立場を澁澤も共有し,それを貫く姿勢が「昭和」と共振したというようなことではないか。いいかえれば,反権力・反体制をとなえる原点が,良くも悪くも“共同体”にあったということだ。競争原理につながるようなことには一切関心がない澁澤の魅力がそこにあった。

「私の1969年」のなかで,澁澤は「いずれにせよ観念こそ武器だと思っていた私たちの60年代は,いまようやく終わろうとしている」と書いた。観念から解放された澁澤は,1970年代以降わたしたちの澁澤であることをやめた。そのことに,今回の特別展で,初めて気づかされた。70年代から海外に頻繁に出かけて行った。具体的なこととの出会いがあったと紹介されていた。

澁澤と交流のあった顔ぶれが興味を惹く。埴谷雄高もその一人。『死霊』の構想ノートが掲載された『群像』11月号に,吉本隆明が「『死霊』の創作メモを読んで」を寄せている。そのなかで「『死霊』の登場人物は誰一人として肉体と性愛をもっていない」と指摘している。澁澤と埴谷の会話は面白かったろうなぁ。
[表現]

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