最高裁主催「裁判員制度全国フォーラム」で産経新聞が「サクラ」を 使ったという問題が明るみにでた。2009年5月までに「裁判員制度」が スタートするというのをマスメディアが取り上げることが増えている ように感じる。一昨日(2日)の新聞に、
内閣府が実施した特別世論調 査の結果が載った。「知名度8割、参加に逡巡する者8割」。最高裁のメディア広告、法務省の電車つり広告(と高校生をモデルに用いたポス ター)、日弁連のWeb情報などが知名度を高めたのかもしれない。しかし できれば関わりたくないと思う人々が圧倒的というのが現実だ。「被告人の運命が決まるため責任が重い」というのがその主な理由。確かに気持ち はわかる。制度の趣旨は理解できる、でも関わらずにいられるのであ ればそのほうがいい、という心理。
しかし、どうだろう。 見方によっては民主主義そのものが問われるような性格をもっているの も否定しがたいのではないか。参政権(選挙権と被選挙権)と同じように、 社会に関わる権利という側面をもっている。職業的法律家にすべてを ゆだねるのではなく、ごく当たり前の生活者の視点から「裁判」と向き 合うことによってごく当たり前の生活者が犯した「犯罪」に関わる。
もちろん、こうした社会との関わりが社会そのものを「育てる」 という関係が重要ということになる。「時の権力者」の犯罪にフツーの 市民感覚で対峙する。そんなことがあれば興味だって湧いてくるに違いない。
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